タイムリーに『さよならインターネット』を読んで

16 0809 35252

家入一真著『さよならインターネット』を読んで共感できるところがたくさんあった。

FacebookやSNSから距離を置こうと決めた矢先で、実にタイムリーな内容だったなと。

家入さんとは同い年で、ここのブログも自分のホームページも、彼が立ち上げて最年少で上場した会社のサーバーを使っている。過ごしてきた時代、側にあったインターネットが似ていたので、おもしろく読めた。

ネット起業→上場→財産消失→シェアハウス等の社会事業→都知事選出馬→再び起業(←イマココ)

IT業界の寵児といわれ、30億の資産も3年で使ってしまって、破天荒な生き方をされているけど(笑)

繋ぐネットから繋がっているネットへ

わたしがインターネットに触れたのは、1995年なので21年になる。

95年はYahoo!・Windows95・NTTのテレホーダイが出た、日本のネット元年であった。

当時は、電話をかけるのと同じように、プロバイダに電話をかけて『ピーヒョロロ』と【ネットに繋ぐ】という儀式が必要でした。

電話回線を使うから、とうぜん電話代がかかります。

海外のエロサイトに接続しようものなら、1つの画像を表示するのに5分ぐらいかかってしまう時代(笑)

そこで23時〜朝8時まで指定した番号のみがかけ放題になるというテレホーダイ。

ネットに繋ぐのに金銭的な制限が合ったのが、深夜のみは常時接続になった。

毎晩全国の人とチャットをしたり、実際に会ってみたり(オフ会とかあったの)。

知らないことは検索すれば出てくるYahoo!

一方向に受け取るだけのテレビではなく、6畳の部屋から自分で世界に繋がって、広がっていく感覚がとても新鮮で最先端だと思っていました。

オンとオフがあったインターネット。

上京してしばらく経った頃にADSLが登場して、Yahoo!BBが参入して、低価格の常時接続は当たり前になり、光回線になって速度も上がって、無線になって、ケーブルが消え、ネットに繋ぐという感覚はドンドン薄れていった。

今ではスマホでいつでも繋がっているのが当たり前で、インターネット自体を感じることもなくなってきた。

SNSの登場と空虚感のはじまり

ネットのコミュニティも細分化がはじまる。

2ちゃんねる、mixi、Twitter、Facebook・・・SNSはドンドン実名化していったけど、会ったこともない人と繋がったり、リアルの人とはドンドン距離感が離れて、脳内だけの世界・・・一時的な承認欲求は満たされた気になるだけで、そこには現実的になにかがあるわけではなく、空虚感が増すばかり。1999年に観たマトリックスの世界に近づきつつあるなぁと。ネットに接続していればなんでも叶うけど、現実は荒廃した世界で機械に接続されているだけ・・・みたいな。

昔からわたしは承認欲求が強いせいか? 自分のことを発信し続けてきたけど、伝えたいと思ってもない人にも、届いてしまうコトが多くなってきた(むこうから見たら、受け取りたくないと思っている人にまで伝わってしまう)。

そもそもキミに伝えたいと思って書いたわけじゃないんだけど、そういう人に限ってネガティブな反応を返されることが多くなった。繋がっているんだからスルーできないみたいな(笑)

発信はブログで、用があるなら会うかLINEがちょうどいい

いろいろやってきて、ブログは気楽な落書きや毒吐きの場ででいいなと(笑)

人のためになるモノを発信しようとか、いろいろあるけど、確かにそれをしたらアクセスも上がるわけだけど、もうこれだけ情報が蓄積されて、下手に発信したところで、2番手3番手。現実社会で影響力のある芸能人や専門家の発信には敵いませんし。

だったら、自分のために発信した方が楽しいし、気楽(笑)

基本的に読みたくない人はこないし、書いたことについて検索してくるわけだから、興味がある人がくる。最近はSNSでシェアされてきてしまう人もいるけど、時が経てばそれも落ち着く。わざわざ読みたくないモノを毎日訪問してくる人も少ない。

個別に伝えたいなら、会って話すか、LINEかメールぐらいの距離感がちょうどいいなと。

どこかで薄々感じてはいたけど、なかなか引き際が見つからずにダラダラやってしまった感じはある(笑)

孤独は贅沢で有意義な時間

本書では、そんなネガティブともいえるネットの変容と期待が書かれていて、まとめにも書いてあったけど、孤独な時間を作ろうという提案にジャストヒットでした。

これだけ繋がっていて、お互いに時間をトレードして、相互監視しているようなもの。

一期一会、旅の情緒、今生の別れといったニュアンスが失われつつある。
意図的に切断しないかぎり、繋がりっぱなしの状況が続く。

買い物や通信など、インターネットの便利な部分を完全に隔離することはむずかしくなっている。

ずっと孤独でいるのではなく、今までの生活と平行して、孤独になって、自分と向き合う時間を確保しようという提案。

スマホからアプリを消して、パソコンの前にいる時間を減らして、一人で好きなことをして、本を読み、向き合っている時間は、今だからこそなんとも贅沢で有意義な時間だなと改めて感じていた。

なんでもかんでも発信しすぎるのもよくないなぁとも反省していたところ。
そうなると極端になにもしなくなるので、読んでいる人たちから、大丈夫ですか?みたいに直接言われることがあるので、これからはほどほどに生存確認ぐらいで発信していこうかなと(笑)

追記(2016/8/10)

インターネットに対しては悲観的な立場ではないです。

インフラとなったネットに接続しっぱなしは、水道出しっ放し、電気付けっぱなし、テレビ付けっぱなしみたいなモノなので、使用は自分で使い方を選んでいくといいかもなと。

いつの時代もテクノロジーって夢を見させてくれるけど、現実は人間の脳の処理能力が飛躍的に上がるわけじゃないので、それなりの使い方が大事よねという話ですね。

スポンサーリンク

フォローする