ばあちゃんの死で考えたQOLと現代医療。おだやかな死を迎えるために

Escalera al cielo

ばあちゃんが亡くなった時期に、みていた患者さんが亡くなったり、死について考えるコトが多くなりました。

開業して1年ちょっとで法人成りをすることができました。

同じ年の年末に、出来上がったばかりの会社の名刺をばあちゃんに渡した。

その半年後ぐらいに、肺炎で亡くなりました。

入院をして、容態が思わしくないようだとの知らせを受けて病院に行くと、集中治療室であらゆるチューブが繋がれていた。

顔や身体はみる影もないぐらいにむくんでいました。すでに意識はなくなっていて、家族たちの希望で延命処置がされていました。

葬儀関係の患者さんの話では『昔の御遺体は軽かった。今は重い』こういうことかと痛感しました。

医師と患者さんの前提の違いとは?

『この薬を使って○○の病気を治しましょう』

そういわれると、治るんだと思いますよね?

前提がまったくちがいます。

医師のいう「治る」の前提は「可能な限り正常に見えるようにする」

患者さんのいう「治る」の前提は「病院と縁が切れて元の健康体になる」

医師も患者さんを殺そうとしているわけではありません。

病気の症状から、診察や検査で病名を絞り込み、辿り着いた病気に対して「どう対処するか」を学ぶことが医学です。

難病=治せない病気(政府公認)というのがあるのです。

医学で出来ることは対処と調節が基本だからです。

医師もその基本の中で、最善は尽くすのです。最後に治るのは患者さん自身です。

医学で風邪を治すのは不可能。そんなことは医師免許を持っていればすべての医師が知っている。
日本呼吸器学会も風邪は家で寝ていれば基本的に治るといってます。

治す力がなくなったとき、人は死を迎えます。

人の致死率は100% わたしもこれを読んでいるあなたも例外なく死ぬときがきます。

我々は死に対して知らないことが多く、とにかく生きていればとの思い込みがあります。

「自然死」とはなにか?おだやかな死の4つの条件

頭がフワーッと心地良い状態になって、麻酔効果の中、徐々に意識レベルが下がって、寝る瞬間のような、まどろみながら、あの世へ行く。

これが自然死です(昔、気絶した時、こんな感じでした)。

「飢餓」… 脳内モルヒネ様物質が分泌される
「脱水」… 意識レベルがさがる
「酸欠状態」… 脳内モルヒネ様物質が分泌される
「炭酸ガス貯溜」… 麻酔効果あり

<食べないから死ぬのではなく「死ぬ時」が来たから食べないのだ>

フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を燕下できなくなったら、医師の仕事をはそこで終わり、後は牧師の仕事です」というそうです。

延命処置は患者さんのクオリティ・オブ・ライフ(QOL)をさげます。

QOLは日本語に訳すと「人生の質」。

医療で命を引き伸ばすだけではなく、生きている時間の質を考える。

量と質。

まだまだ日本では、自宅での緩和ケアや安楽死など、おだやかな死に対しては問題が山住です。

制度や法律が整うよりも、個人個人が考えるコト。

生前に家族と話しておかないと、苦しい中で亡くなってしまう現実があります。

あなたはどんな最後を迎えたいですか?

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